日本橋丸善ありがとうございました。
たくさんの方々にお会いできまして感謝いたします。
普段とは段違いの数のひとにお会いする行商の一週間。
前後の反応もふくめ、ちょっと今回はしんどいことがありました。
"悪気のない無礼"というのにたてつづけに当たってしまったのです。
それでなんというか、いっこはおおごとになりまして、
そうなってしまいまして、周りの怒りの炎のような渦のなか、
被害者であるわたしの感情というのが正直置いてけぼりを食らってしまったのです。
周りの皆様は本当にとても素晴らしい対応をしてくださって、
暖かなケアもあり、もうすごいすごいさすが!なかんじだったんです。
なのになんでしょうね。
自己肯定感がもともと低いのは自覚していて、
でも低かったけどだんだんお客様のおかげであがってきて、
自信満々とまではいかないにしても人並みだろうと思ってたんですけど、
どうも、あんまり、まだまだだったみたい。
自分のために怒りを発露させるというのが、うまくできないなとわかりました。
腹の中で怒るのはできる、
愚痴を言うことはできる、
けれどいざ相手にどうこう、となると、情けない話吐き気が止まらなくて、
周りが怒ってくれているのに、どうもすみませんと謝ってしまった。
これが他人事、というか、私の身に起こったことが目の前の友人に起こったら、キレ散らかすでは済まないだろうと、確かに思うのに、謝ってしまうなんてことは怒ってくれている相手に対しても失礼だし、いままで大事に思ってくださっていきた皆様にも失礼だし、そういう無礼にたいして戦ってきた先人の道というのもあるのだから、一切いいことではないと思うのに。
正体不明のぶあつい靄のようなものが、
発露すべき怒りの火を押し込めてしまう。
消すのではなく、ぶすぶすと、燻すように、押し込めてしまう。
無礼に失礼だ!と返すことだけが正しい反応ではない、それはそうとしても、今回のはよくない。
これは、ほんとうに課題だ。
なんてことがあったあとに、またそういうのがやってきたりして、
それも相手に怒ることができなかった。
ぐううとまいった。
いい歳こいても、ずーっと内省。
磨いてかなきゃ、よきものをつくりだすには、心も美しく強くあらねば。
引き続きがんばりますのでどうぞよろしくお願いします。
心底怒ったときってフリーズしてしまうことあります。周りに貴方のことを大切に扱ってくれる人がたくさんいてよかったです。