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日々の変化

執筆者の写真: すずめや
すずめや
8月13日
読了時間: 2分

夫が仕事を変えたので日々のサイクルがけっこう変わってまだ慣れない。ひとりでいる時間がぐーっと増えて、というか夫が仕事でいない時間がぐーっと増えたので家のことをたくさんしなきゃならなくなった。まあいままでがおんぶにだっこすぎた。


朝から晩までずーっと製本をやり続けるという感じでもなくなった。畑も触らなきゃいけないし、ぬげたの散歩にもいかなきゃならないし、晩ごはんだって昼ごはんだって作る。いや羅列するとなんて当たり前のことだろう。甘えていたなあと思う。


毎日野菜の様子をうかがい、畑をほじくり返していて両腕が常にくたびれており、爪には土が詰まっている。猫たちは爛々とかまちょの姿勢、ぬげたのお散歩いこうのお誘いはささやかで、見逃さないように気をつける。


朝から晩までずーっと製本だけやってたかった。

むかしはそれが夢であった。

でもいざこうやって暮らしに比重がかかると、ああただ暮らすってこんなに健やかなことなのかとしみじみと沁みて、この実感はしっとりと重い。浮き足だった空想に紐をつけて地面に足をつけて歩いている。

家にいたいなって思う。

ここで暮らすをずっとやってたいなって思う。

それはたぶん、呼吸をするようにいままでやってきたことがちょっと剥がれたってことで、なんだかへんだ、これでもわたしの人生は続いてゆくのだ、きのうもおとといもそう過ごして、あしたも明後日もそう過ごすのだ。たとえば一年前の、きのうとおとといとあしたと明後日とはちがう日々を。


きのうの夜もあのどろぼう猫がやってきていて、みんみがしっぽをぼんぼんにして唸っていて、どれと顔を網戸に近づけるとどろぼう猫は恐ろしい形相で網戸越しにとびかかってきた。なんでよそんちの猫にぶちぎれられなきゃならないんだ。わたしがなにをしたというのだ。そっちが勝手に来たんじゃないか。

でもわからない、どろぼう猫は若く見えるがじつは年寄りで、我々が来る前のこのうちを知っているのかもしれない。以前の住人と仲が良かったのかもしれない。それでよそものの我々が住み着いているのを確認してぶちぎれたのかもしれない。家の日々も変わったのだ。わたしの日々が変わるように、みんみの日々が変わるように、けれどそれぞれ在るは在るなのであり、あれこれは、色即是空?





 
 
 

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