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  • 執筆者の写真すずめや

山のかみさま、街のかみさま

今日は氏神さまの日だというので山のなかの氏神さまのとこに朝いちでお参りにゆきました。


田んぼの脇の道をぬけて、山のなかにある神さま。

色も塗ってない、丸太で鳥居ができていた。

岩手の人はシャイだっていうからとりあえずのご挨拶をして、今後はそこまでお散歩にいこうって話をしました。


街の感覚からずいぶん離れて、

それがいいのか悪いのかわからない。

でも思うのは、山のかみさまと街のかみさまは違うみたい。

念のため、特定の宗教の話ではなくて、なんかでかい、運命とか理とかそういうのを持ってる存在?みたいなものの話。


街のかみさまは、たとえば今敏監督の映画みたいに数珠繋ぎの縁、ピタゴラスイッチ、あといえばうん、みたいなもの。

山のかみさまはすごいまるごとなかんじ、たとえば天の川銀河というのがあるけれど、わたしたちの地球とちがう銀河のなかなんですけど、銀河って地球にテニスボールいっこぶんくらいの距離感で並んでいるものらしい、みたいなこと。


満開のお花を摘む、脇に蜘蛛の巣があって、名残惜しそうに蜂が飛んで、足元に蟻が這っていて、お花に紛れてこないだむしったはずのどくだみがまた新しく芽吹いていて、でもそばにはこないだむしったどくだみが枯れて山になって、きっとその下にはだんごむしとかがいて、いつか土になる。

ヒルが血を吸う、熊が桑の実を食べに来るって、夕方に土砂降り、昨日雨が降ったから草が抜きやすいね、循環循環でまるごとぜんぶ、そういうかんじ。


社会性動物から単体の動物になっていく。


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