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  • 執筆者の写真すずめや

審判者の話

わたし、頭脳線が2つあるんです、って。

これが頭脳線なんだってのをちゃんと勉強してないんで、そう言われたことがある、というのが正しいのですけども。


脳はたしかにいくつかあります。

(みんなそうだと思うけど)

そん中で一番厳しくて、声のでかいわたしは審判者のひとで、

例えば最近恋してるんですけど、

審判者は彼に惚れるのは許してくれたけどおまえは彼の幸せたりえるのか?ふさわしいおまえか?と追及してきます。

あと例えば自分を自分で肯定するのがいまのところできなくて、その際まわりのひとたちが褒めてくれた自分、を否定することはよそのひとたちを否定するのと一緒だ、という論理で社会的自我を保っていたりするんですが、

そのときも、審判者が言うの、これくらいできないあんたか、あのひとが応援してくれたあんたは。


審判者はわたしだから、

わたしの解いている世界の解き方はわかっていてくれて、その上でとても厳しく詰めてきます。


視点の切り替えはできる、ハウルの動く城のあの扉みたいに、なんでも多角的に見られるはず、知ったふうに語らなければ、わからないをちゃんとわからないと言えば、なんとなくをなくせば、なんとなく正しく動く、体も世界も。

ばかであるのがいちばんいけない。

いけないなんて悪いことは基本的にわたしから生まれる何かでしかない、考えて、切り替えて、良い、と観れる世界を探す、何も憎んだり悲しんだりしないところにいく。居る。


ああ満月が近いから、指先から脳がこぼれた。




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