人生の半分くらいを荒れた穴ぐらで過ごした。
穴ぐらではリュックを背負わされ、そこにたくさんの荷物が入って、たいへんに重たくなったけれども、とにかく進まなければ出口がないということだけを感じていて進んで進んだ。
そのときの荷物のなかの、もうもはやアイデンティティの一部と化したような硬くて重たいやつが、ほんとうは全然そんなんじゃなかったってことがわかった。
わたしはしあわせものだったのだ。
穴ぐらからちゃんと出ていた。
なのに転んだ傷口ばかりみていたり振り返ったりしすぎていてずうっと気づいていなかった。
傷口はすでにかさぶたから新しい皮膚になっていて、目玉に双眼鏡をかかげていただけで、新しくなっていて遠くになっていた。
30年は、気づかなかったことを、なんと気づいた。
これは極個人的なこの世界の大変異。
わたしはしあわせものだったのだった。
コメント