名古屋ラシック、ありがとうございます。
ご好評いただいている日々が続くというのはなんという幸福でしょう。
今日はコントラストのつよいお客さま模様でした。
初めてお会いする、他の作家仲間から聞いていて楽しみに来たんだよ!というお買い物意欲とおしゃべり意欲に溢れたお客さま。
それからずっと来てくださっているけど黙々と長い間じっくり一冊ずつ手に取っては返し、でもぴったりなのを選んでいってくださるお客さま。
このところ一人で出展していることが多く、この年始のラシックのイベントは数少ない作家仲間との合同イベントみたいな場所であります。
ひとりでいるときは、お客さまにあんまり話しかけない。
本を選ぶのに接客は必要ない、とここのところは強く思っているからです。
必要な本は、手に滑り込んでくるものではないですか。
作品として手に入れるのも、いるとかいらないの次元を超えた先のことだよなと思う。
(実際問題としてお財布の都合があるのは承知の上で、ない袖は振れない)
わたしはノートを、本を作っていて、それはとても内向的なものです。
例えばアクセサリーやジュエリー、お洋服なんかように、外の目がありきの世界のものではないのだ。
外の目というか、武具的な意味合いがそれらにはあるとわかっていつつ、そう言う。
私の作るのは、中身はただの白い紙なのだ。
あなたがそれをどうするか、どうしたかは、あなただけが知ること、あなたに委ねたこと。
だからあんまり接客しちゃうと、大事にしてよねの押し付けになってしまうんでないかと恐れている。
大事にしてよねの押し付けは、わたし自身が気づかないまま辛かったなにかしがの呪いに繋がるから、だから気をつけたい。
伝えないままでは気づいてもらえない、
でもごりごり押すこともしたくない、
では。
では、はっとするような、いいものを、作ることだ。
できているかできていないかは、私にはいつもその場で分からなくて、あとからわかったりわからなかったりするのだけれど、誰かに何かを気づいてもらうためのなにかってむつかしいわね。
むつかしいときには、わかってることを消してゆくの。
今週は全国的にあったかくって、
岩手じゃ雪もとけてしまいそう。
久しぶりの名古屋の冬は春のようなあたたかさで、雨は雨のまんま降るんだよ。
不思議な場所に、来た。と思った。
雪の国に帰りたいなと、帰りたいなと思った。
Kommentarer