枯れ草ばかりで色褪せた地面から新芽が次々と出てきます。
冬のあいだにみんな枯れた。
ここからぜんぶあの緑一面の景色に戻るとはとんでもない話です。
いまは虫もいないし気温も上がっていくし、
ふきのとうつみや新芽の観察、
雪で折れた木々の剪定や枯れた草木の掃除で外で作業することも多くて、
そうすると近所の方々が軽トラとめてなにしてるのーと話しかけてくれるようになりました。
わたしはふきのとう大好物だけどけっこう嫌いだっていう人も多いみたい。
にがいもんねえ。
そいでとにかく冬大丈夫だった?と聞かれる。
思ったより大丈夫でした!と元気に返す。
ほんとに思ったより大丈夫だった。
雪が特別少ない冬だったらしくて初心者にはぴったりのレベルだったみたい。
今年は冬の出稼ぎをやめにすることにしたのだけど、やめにしといてよかった。
冬が越せるかどうかが暮らしていけるかどうかの肝なんだろうと思う。
大丈夫でした!と伝えた人は前よりずっと笑顔を見せてくれる。
安心できてよかった、双方。
その辺に生えてるふきのとうと、ちかごろはひろっこという名前の草を食べてる。
ニラやネギにちかい味でほんと、その辺の草、という名前がぴったりの風体をしている。
みんなはおつゆや酢味噌和えにしたり卵焼きに入れたりしているみたい。
ニラに近いなら、と思って今日はパッタイに入れてみた。
ふきのとうもオリーブオイルにあうことが判明したのでいろんな味付けで食べている。
しかしそのへんの草を食べるというのは楽しい。
食べものが生えてるのも楽しい。
そういう世界があるのは知ってたけどちゃんと楽しめたのは初めてな気がする。
小さいころ、そういうことがしたくてつくしやよもぎをつんで一生懸命食べていたけど、両親は付き合ってくれなかったので子供だけでとれる量には限りがあり、楽しみはほんのちょっぴりだった。
もっとたくさん外の世界でそういうふうに遊びたかったのを思い出した。
みちばたでつんだものなんか、犬のおしっこがかかってるよ!と乱暴に言われて悲しかった。
たまたまここは散歩する犬もいないくらいの過疎地なので、悲しい思いをしたむかしの自分も安心して楽しめる。
なんか書きながら思い出してきた。
そうか、そうだったね。
根っからのインドア派だと自分のことを思っていたけど、
そういえば小さい頃、ほんとの子どもだったころ、わたしは外で遊ぶのが好きだったんだ。
木登りしたりりんごとナイフを持ち出して外で食べたりするのも好きだった。
ひらひらしたお花も好きだったしアヒルを飼ってる子の家によく遊びに行っていた。
ばあちゃんちに生えてるぶどうをつむのが好きだった。
畑をやりたくて種や球根をせがんだこともあったな。
そうだった、そうだったわ。
そしてそれに、家族は基本的に付き合ってくれなかったんだ。
身近な人にわかってもらえなかったから、だんだん内に籠もるくせがついたのかな。
家族とは気が合わない、昔から。
それは悲しいことではなくて、人種の違いだといまは捉えている。
そうだったわそうだった、
だんだん自我と社会性に無縁だったころの純粋な好きだったことを思い出してきた。
いまはほんとに子どものころのことを取り戻しているみたいだ。
付き合ってくれる家族もいる。
やりたかったことだったんだ、ずっと。
わーたいへんだ。
書きながら思い出しちゃったのでへんな興奮とともに無理矢理おしまいにする。
あれれどうしよ、そうだったんだ。
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