top of page
検索
  • 執筆者の写真すずめや

丸の内丸善ありがとうございました

たくさんご来場いただき、ありがとうございました。


いや〜こなしたこなした。

久しぶりの出張をこなした。

今回は人様のうちに世話になったので少々のイレギュラー、だけど思ったよりすんなり終わってよかったよかった。


ひとんちに泊まるというのは本来ならかなり苦手なこと。

というかひとんちに行くのもひとがうちに来るのもどっちかというと苦手。

テリトリーに侵入してしまった/侵入を許した、というこれは動物的な感覚で苦手なのだと思う。

平気なひとは平気なのだけど、たぶんその線引きは群れの仲間かどうか、というようなくくり。

一人暮らしを始めて5.6年くらいはむしろウェルカム状態で親しくない人も出入りするような家だったが徐々に閉じた家になっていった。

京都の最後の家では店舗兼住居だったのである意味では開いた家だったのだけど、素直な気持ちとしては閉じていたい、しかしこれは修行の一貫だという気持ちを持ちながら住んでいた。


ひとんちというのはあまりにプライベートすぎる気がする。

例えば敷いてあるマットひとつ、リネン類、洗剤の種類や食器やコンセントの様子や本棚やなにもかも、目に入る情報すべてがあまりに私的。

外で会うときとはすべてがちがう。

見てはいけないものを見にきた侵入者のきもちになってしまう。

だから、苦手。悪いことしてるような気になる。


しかし今回は大丈夫だった。

基本的に家主たちが寝静まったあとの帰宅になったというのもあるけれど、前もってびびっていたより穏やかに自然に過ごせて自分でも驚いた。

気を使い過ぎたりオーバーにリアクションしすぎたりまたは喋らなさすぎたりというようなこともなかった。

一週間のあいだ、毎日12時間も売り場にいて食事は外食、というコンディションを整えようがない状況下でこれは不思議なことだった。

わたしが自分で思っていたよりずっと本能的に、家主たちと群れの仲間だったのかもしれなかった。

もしもまた世話になることができたらもう一泊して一緒にのんびり過ごすのもいいかもしれないなんて考えている。

これはずいぶん珍しいことのような気がする。


今回は家から出て家に入って家から出て家に帰った。

やっぱじぶんちは最高、静かで穏やかなわが独立国家、共和国。

各々の最高なじぶんち、というのが、私が考えているよりもっとそこらじゅうにあるのかもしれない。



最新記事

すべて表示

天変地異かも

人生の半分くらいを荒れた穴ぐらで過ごした。 穴ぐらではリュックを背負わされ、そこにたくさんの荷物が入って、たいへんに重たくなったけれども、とにかく進まなければ出口がないということだけを感じていて進んで進んだ。 そのときの荷物のなかの、もうもはやアイデンティティの一部と化したような硬くて重たいやつが、ほんとうは全然そんなんじゃなかったってことがわかった。 わたしはしあわせものだったのだ。 穴ぐらから

マリのソファ

きのうは次男坊と三男坊が長女マリのお気に入りだったソファにのぼって人間のおかずのお刺身をかっぱらおうとした。 もうしょうがないなあって言って小さく小さくお刺身を切ってあげた。 マリはすぐ人間のおかずをねだる猫だった。 このふたりはあんまりそういうことしない。 だから久しぶりにおかずを猫にあげた。 マリがここにいたのを、しっかりとした手触りとともに思い出した。 彼女が天国に行ったこと。 寂しいけど、

Comments


bottom of page