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執筆者の写真すずめや

ベンヤミンパイセン

広島にきております。

街はいっときのことを思うとずいぶん賑わっているような錯覚を覚えますが、やっぱり道ゆく人々がつけているマスクや営業時間短縮の張り紙、テイクアウトの看板なんかが、いまやちいさな違和感、というか、もうコロナ以前のことをわたくしごととして抱きしめなおすことのできないくらいのうすぼんやりしたフィルターになっちゃって、ああ出来事があって、こんなところにきちゃったんだなあなんて、なんてね。


ともあれ旅のお供は文庫本。

今回は間接的に触れているばかりで本陣に切り込んでいなかったヴァルターベンヤミンのテクストに挑戦です。

むずかしいぜ〜!!!!!


とはいえたぶんベンヤミンパイセンとは(パイセンというのは先輩という意味です念のため)多分気が合うのだろなというか、大学のサークルだったらおなじとこに所属してたかもなみたいな近さを感じている人なのでそういう情緒酌量の余地、というかんじで、まあよくわからないがこういうことを言っているとわたしは思うよとむりくりに読み進めていくかんじで読んでいます。


パンキッシュな感じも受けるが、絵に描いたようなマザコン、みたいな執着をもっている人にも感じる。

ライトな漫画やアイコン的に描かれる、もう一昔前のキャラクター的なマザコンちゃん、タイプの執着。

これは多種多様なメンヘラ気質をカルチャーとして受け取ってきたいまだからこそそう解釈するということで、決して軽んじているわけではないのですよ。


いまの催事は催事場でして、計21人の作家が集っており、なかにアカデミック派というか、哲学の話で鼻息荒くするグループがおり、まあそこにわけいってキャンキャンいろいろ話すわけです。

みんな毎日顔合わすわけじゃないし、だからこそ何ヶ月かごしにたまたま同じ場所で仕事で会って、あのとき教えてもらった思想たどったよ〜!とか、いまこういう考えを面白く思っててね〜!とかフンスフンス会えるたびに話していて実り多く楽しいです。

みんな作り手だからさ、思考が作品のどっかに出ていたりたたずまいに出ていたりしてね。

いまはヌーソロジーなる新しい思想を投下したひとりの作家により、えっなにそれ、見てみるね!とウェーブが起こっているところです。


小林秀雄がうまくはまらんのやということはなんどかこのブログでも言っているのですが、なんかなかなか日本土着の地に足ついてる系がすんなり飲み込めないわたくしであります。

感覚としてはわかるんだけどな〜?

ちょっと前にいっちょまえに初ブルーバックスを決めまして、それは物理学から時間とはなんだろうを読みとくやつだったんですけど、物理学の基本、仮定からスタートしていけるとこまでいってみようぜ精神がとてもわたしにはすんなり落ち、うむそうしましょうねとなったんですよね。


仮想敵、みたいのが世界を狭める大きな原因だと思うんですよ。

その狭め方というのは、相手はこうだにちがいないのだ、という重ねて重ねての決めつけによる迷路づくりに見えます。

ですから、その、小学生のころのようなきぶんで、次の時間は理科で次の時間は国語で次は数学、ってね、考え方を横断していくことで語弊も誤解も少なくなり、ムキィと自分がむかつくことも少なくなるんじゃねえかな、と思うんですよ。


まあベンヤミンパイセンはたしかに思考が偏っておりますが、わたしは彼がこのような考えから基づく解だ、と言っていることが、難解ながらも感触としてわかるのは、いま現代の飽和した多種多様性の認識にさらされてきたこと、そのさまざまな物語をコンビニエンスに摂取することのできる現在を過ごしたからこそ飲み込めるのよね、と思ったのであります。


だよね〜ってのがさ、ライトな共感の語句としても、その共感の深さと表面を滑る音声としての言葉とは必ずしも一致せんのよと思うの。

それこそアウラよね。


久しぶりにマニアックなブログになっちゃった。


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