さて大阪。
3度めのジャックアンドベティ。
はじめてニューハーフショー、ジャックアンドベティに出会ってから大阪にくるたびにやってきている。
慣れない大都会梅田で帰り道に彷徨っていたときにたまたま手に取ったチラシがジャックアンドベティのものであった。
次の日みんなを誘って行った。
それが去年の春で、次に大阪に行けたのが冬で、またつぎ夏がやってきて、3度めのジャックアンドベティにたどりついた。
お姉さまがたの圧のある美に圧倒されるのは毎度のこと、でもまた新しくきらきらに出会う。
京都にいたころは夏越の祓えといって、正月に祓った穢れが溜まっているだろう夏の真ん中にひのわをくぐって和菓子の水無月を食べて穢れを祓うというのを何の気なしにやっていたけれど(神社も好きだしあんこもすきだ)、はなれていまの夏越の祓えはジャックアンドベティなのかもしれない。
いまちょうど柳田國男の穢れについての事例集を読んでいるけれど、いやだからそんな気がするのかもしれない。
つまりいまいう穢れはカーテンレールのほこりと一緒だ。
半年にいちど、祓うのがちょうどよく清潔なのだ。
ジャックアンドベティはひとりで行くお店でないので毎度毎度仲間を誰か誘ってゆく。
ショータイムは1時間、90分の飲み放題、30分前に入店して、ショーの前の30分はお姉さんが席についてお酒をかき回しながらおしゃべりをしてくださる。
今回はなんのご褒美だか、途中までママが卓についてくださっていた。
1984年、わたしが生まれるより前からこの場所で営業していたジャックアンドベティは今年で40周年。
いまよりずっとなんの理解にも辿り着けなかった社会だったころから続けての40年め。
彼女はずっとここで、誰かの水割りをかき回し、笑って歌ってここにいた。
いつも最後に言う、
酒は笑って呑むもんで、うさをはらしてなんぼだって言う、
それでまた次の日仕事頑張って稼いで生きていきましょって言う、
さんざ笑かして美しい舞で翻弄したあとでそう言う。
ずうっと彼女の大事にしていた歌手の歌を歌って締める。
きれいな言葉だけど、彼女が言うから美辞麗句でない。
ちからのある言葉というのはもちろん文面にもあるものだけれど、生身の唇から出てくる言葉、飾りようのない、単語だけですまないその重さと湿度、彼女の、彼女たちの唇から出ることによって衣装を纏いながらまるで全裸の強さを持つ言葉。
今日も皆美しかった。
本当に皆んな美しかった。
ギャルが好きだというのをいつかのブログで書いたけれど、それは卑下の引き算のないお洒落に対する態度にこうべを垂れるという話であったけれども、ジャックアンドベティのニューハーフの皆様の態度はもう二歩も三歩も先をいっているように感じる。
わたしもいちおんなとしてジェンダー感や差別意識の諸々にはどっちかというとよく考えるほうだと自負しているがそれでも足りない、追いつけない。
ニューハーフという、わたしの生まれる前にすでにあったであろうそのくくり、新しい半分こ、きっと体験と乗り越えること、それがなければおいつけっこないしおいつこうとするのも違っているんだろう。
手の届かないひとたち。
それを間近で、触れ合って、見せていただくのが、本当に本当にありがたい。
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