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執筆者の写真すずめや

コンビニ人間

名古屋は栄の丸善本店にて出展がはじまりました。

売り場は一階、

すぐ近くの棚には"書店員がいま読んで欲しい本"という特設棚があって、こちらを向いて並んでいたのが"コンビニ人間"。

誰だったか、忘れちゃったけど好きな人がそういえば推していたなあと思って手に取りました。

いやはやお見事な文学でありました。


読みたてほやほやのときは新しい狂気、と形容したけれど、いやじつはずっとそばにあった狂気だったかもしれない。

読み返すとだんだん身に覚えのある経験のような気がしてくる。

見事な芸術作品、ことにわたしが惹かれるのはそっち側に引き摺り込んでくれる力のあるものなのかもしれない。

すっかり主人公の気持ちになっちゃって、こんなことがわたしにもあったような気になる。


バスキアやゴッホやルドンの前でも同じようなことが起こった。

知久さんや大森さんやマサムネさんのこともそうなんだろうか。

夢野久作や谷崎や賢治さんはどうだ?

引き摺り込まれると世界が揺らいでここはどこだにいつもなる。

その感覚は恐ろしいけれど心地の良いものでもある。

きっと赤ん坊が母親に抱かれて揺れているあいだに眠るようなものなのだろうと思う。

自分よりもずっと大きくて力のあるもの、到底力では敵わないもの、熊のことは危険だけど母親ならば安心する、その違いはなんだろう。

大人になったわたしと熊は物理的な力関係で言えば赤ん坊と母親とおなじくらいの比較になるはず。

相手のひと払いで瀕死だろう。

なにが安心でなにが危険でなにが近寄ってはならないものなのかな。

生前に評価されなかった芸術家は、近寄ってはならないものだったろうか。

揺られることが心地良いのはなぜだろう。

ああ良いものを摂ったなあ。



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