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  • 執筆者の写真すずめや

グッバイカビども

一人暮らしのときから、日当たりと風通しと広さというのがとても重要な物件選びの条件だった。

とくに風が通るのが大切だった。

なんでなんかわからんが、エアコンや扇風機でなくて、風が通るうちというのが大切だった。

もちろんすべての物件でそのすべての条件を満たせることはなかったんだけれど、窓だけはいつも開けていた。

それでずっと気づかなかった。


いまの我が家は日当たりこそあんまりだけれどめちゃくちゃに広く、窓も大きく、まわりを山や川に囲まれていて、風も通るし虫や木々の擦れる音や鳥やまあなんやらと素晴らしき環境音に溢れており、できるかぎり窓は開けていたいのだ。

寒くなきゃずっと開いてていいのだ。

特に雨の日は、良い音がする。

葉に落ちる雨の音も、屋根を打つ雨の音も、まわりに家がないこともあって深く響き美しい。

だから雨降りでもずーっと窓を開けていた。

しっとりした湿気も、まるで霧の海に揺蕩っているようで心地よいほどだった。


引っ越して3年がすぎ、ここで過ごす雨の日が大好きなことは変わらなかったけれど、いいかげんにうんざりしてきたのはカビのこと。

雨が続くとふんわりとそこいらじゅうに生える。

古いおうちだからこういうのはしかたないんだよなって思ってはいたけど、紙のしわを伸ばすのに使っているベニヤ板が出張中にカビにやられてもうこれは嫌かも!ってなってしまった。

(大事にしていたはずの革の靴やかばんがやられてもしかたないなって諦めたのに仕事のやつをやられてぷつんとなるのがわたしの人生を象徴しているようである)


で、もうこれは単純な話、雨の音がすこしくらい響かなくなってもいいやと窓を閉めてみた。

湿気がくるのはお外で雨が降っているせいなんだからその湿気を絶ってみたらどうだと考えたのだ。

そしたらもうなんとぜんぜん家の中は湿気ないのだ。

たったこれだけのことにずっと気づかずいろんなものをカビさせてきた。

うんざりしながらアルコールを吹いては拭き取り、紙に魔の手が侵食していないかと怯える日々を過ごした。

よく考えたら雨のたびにあんなペースでカビが生えるならこのうちに人が住んでいなかった2年間に家自体が腐り落ちてしまうはずだ。

原因は我々にあったのだ。

こんな簡単なことにずっと気づかなかったなんてなんてばかなんだろ。


このうちはとっても広くて、窓を閉めれば湿気も遮り、陽当たりはよくないかもしれないけど猫たちの寝転ぶ廊下や窓際には充分に陽があたるしそのおかげでエアコンいらずの夏を過ごせる。

このうちを建てたひとは林業をやってらしたそうで、柱はとっても立派だし、床はいろんなとこに穴が空いちゃってるけど拭き掃除をしたらまだ木のいい匂いがする。

昔住んでた誰かが思春期に書き残した魑魅魍魎とか不良伝説とかの落書きも残っておりたいへん味わい深い。

集落の出口に位置しているのでなんとなくみんなのおでかけの車を見送れたりして、密にコミュニケーションをとるわけじゃないけど今日もみんなお元気にお出かけですねとにやりとできるいい距離である。

いまは猫が4匹いて、うち一匹は喧嘩をするので別部屋、うち一匹は先天性の感染症の検査ができないくらいちいちゃいので別部屋、そういうことも余裕にできるのである。


ここに引っ越してきてもうやだになったことといえば屁こき野郎カメムシのこととふんわりカビたちのことであった。

屁こき野郎については侵入経路である隙間への目張りが功を奏したし、白状するとやつらを屠ることが愉悦に変わりつつある。

カビ問題は雨の日には窓を閉めたらいいだけだってことがわかった。

この家大好きである。



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