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執筆者の写真すずめや

やったぞ受かった

東京出張から帰ると夫がたいへん頑張ってくれており、家の中はぴかぴかで大量のおでんまで用意されており、朝寝坊して起きてきたら珈琲豆まで焙煎してくれて至れり尽くせり、幸せものだなとしみじみ感動していたところ応募していたクラフトフェアの合格通知のメールが来た。

悪いことは続くというがいいことも続く。


このブログを前から読んでくれている方は知っていることかと思うけれど、わたしにとってクラフトフェアというのはずっと憧れのイベントである。

手練の作り手が集まり、激かっこいい作品たちが群れをなし、来場者も目利きの猛者ばかり、まあここまで言うのはおそらく言い過ぎだろうけども、わたしはクラフトフェアに対して小学生が高校生に感じる憧れのようなものをしつこく持っている。


それにはまず紙ものというジャンル自体がクラフトフェア向きでないというので断念し続けてきた時間の蓄積があってそれがこじらせの第一要因であると思う。

それに、長野に青森に大阪に、名だたるクラフトフェアは数あれど、そのほとんどが屋外での開催。

かつ宅配搬入の路がなく車搬入前提であることが多い。

岩手に来ることになるまで運転免許すらなかったわたしには開催場所に行くこと自体が困難なのである。


今回応募したクラフトフェアは数少ない屋内開催でかつ宅配搬入が可能なクラフトフェアで、募集要項にたいへんしびれる一文が載っている。

応募は作家を生業としている者に限られているのである。

生業では食っていけなかった長い時間のことを思うといまの自分に応募資格があるというのはたいへん誇らしいことだ。


いわゆる工芸やクラフトと区分される作家たちは、木工にしろうつわにしろ、まず伝統的なものづくりの手法を学び、先人によりその作家たちの生きている世界を知り、その後自身の表現を作っていくというような道を通る場合が多いと思う。

わたしはそもそも長いこと作家がどうやって作ることを仕事として生きていくのか、その具体例も知らなければイメージすらないまま突き進んできた。

作っている自分ですら食っていけるようになるとしんからは思えていなくて、作り始めて何年もたったある日ふとスーパーで苺を躊躇なくカゴにいれた自分に気づき、あれ、わたし、いまものづくりで食っていってんのか、とさらに気づき、そのことが信じられなくてしばらくめそめそ泣いていたくらいだ。


クラフトフェアにいつも出ているような作家たちに、わたしのように無知と不器用によってそういう遠回りをしてしまった人は少ないんじゃないかと思う。

だってクラフトフェアはクラフトで食っていっている作家のあつまりなのだから。クラフトフェアの世界を知っているのだから。

ああ憧れのクラフトフェアだ。

きっとなんか誤解しているところもたくさんあるし舞い上がって変なこと言ってるとは思うけど、クラフトフェアに出たらわたしはもしかしたらクラフト作家とか言ったってかまわないのかもしれない。

かっこいいわそれ。

がんばらなきゃ、いいのを作らなきゃ。



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