top of page
検索
  • 執筆者の写真すずめや

ふしぎとの付き合いかた

更新日:2019年6月19日

なんかー

あんましねれん

うーん


我ながらふしぎ多すぎるな、とブログを読み返したり人生を振り返ったりしてみています。

風が運んでくるもの、

必然的に偶然出会うこと、

手に入るもの、はいらないもの、

願いと祈り、

はてな、と、さてと。


ただ多すぎるんで、流れのままに生きることを選んでいません。

道がたくさんあって、交差しまくる。

蜘蛛の巣の模様みたいなかんじです。

わたしが移動しようが、しまいが、道が存在を中心にして縦横無尽に開かれている。放射線状に。

だからね、流れのままだと体がいくつあっても足りないのよ。


選ぶためには多くは勘に頼る、それから思考。

経験の積み重ねから見える道筋を信じることにしている。

それは勘でも、勉強の積み重ねからくる思考でも、辿った経過は似たようなものだと思う。

状況判断です。


ふしぎが多いから、ほんとにわかんないことは勉強によって解決してみたり、スピリチュアルなともだちは何人かいるから会えたら聞いてみたり、それから人生の先輩がた、歳上の友人たちに尋ねてみたり。

スピリチュアルはたまに会えたら判断材料にする。

なんでもそうだけど、必要に応じて必然的に会うから。

だからなんでも一緒っちゃあ一緒にみている。

思考的にはスピリチュアルよりネイチャーよりです、浪漫のある科学が好き。


ふと目につく看板、隣にいたひとの会話や、出会うお客さまからいただく情報も、星のめぐりも、マヤも、チャイルドちゃんとか、タロットも、愛すべき人たちの助言もそう。

フラットにみる。

それでみんなを尊重できると思っている。

選ぶのはあくまで自分、だからだれのことも悪くないしありがとうしかないの。

出会ってくれてありがとう、ここまで生きてきてくれてありがとう、いっぱい一緒に笑おうね。

そんなふうに世界を見たら、けっこう本気で世界平和が叶うんじゃないかなあ。


んー。


やっぱりかたわれの話な気がする。

だれかがわたしを選んでくれるかな。

手をとってくださるだろうか。

はたまた。


まだぶつぶつが、両手、微妙に治んなくて。

このぶつぶつはもうたたりとか呪いの類だと思っていて、だから、勇者の剣とか魔法の指輪とか真実の愛のキスとか、そういう呪いの解除アイテムやイベントが要るような気がしている。


ああまたわけわかんないこと言ってるね。


最新記事

すべて表示

天変地異かも

人生の半分くらいを荒れた穴ぐらで過ごした。 穴ぐらではリュックを背負わされ、そこにたくさんの荷物が入って、たいへんに重たくなったけれども、とにかく進まなければ出口がないということだけを感じていて進んで進んだ。 そのときの荷物のなかの、もうもはやアイデンティティの一部と化したような硬くて重たいやつが、ほんとうは全然そんなんじゃなかったってことがわかった。 わたしはしあわせものだったのだ。 穴ぐらから

マリのソファ

きのうは次男坊と三男坊が長女マリのお気に入りだったソファにのぼって人間のおかずのお刺身をかっぱらおうとした。 もうしょうがないなあって言って小さく小さくお刺身を切ってあげた。 マリはすぐ人間のおかずをねだる猫だった。 このふたりはあんまりそういうことしない。 だから久しぶりにおかずを猫にあげた。 マリがここにいたのを、しっかりとした手触りとともに思い出した。 彼女が天国に行ったこと。 寂しいけど、

Comments


bottom of page