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執筆者の写真すずめや

にんげんとひと

世界の捉え方について、の話ばっかししてる仲良しがいまして

最近とみによく話す


お互いの近況やプライベートは特に必要なければ話したりしないけど、気軽に誰とでもできないような話ばっかりしているので、特に仲良しと思っています


社会や家や政治のなかで生きている"にんげん"としての個体と、風景や感動や宇宙のなかで生きている"ひと"としての存在の違いについての話をここんとこずっと、なんだろ、議論…というにはそこまででもない、話している。おしゃべりしている。


たましいとこころ、で言葉が分かれているのはなんでだ?

傷つけられることを恐れるのはにんげん

畏れをいだくのはひと

シナリオのある映画で感動するのはにんげん

うわあさくらきれい!で感動するのはひと

じゃあロケットをつくるのは?

愛の種類については?

育児はひとができるものか?

祈りのちからについて。

神さま、ということばの使われ方についての違和感の話。

死とはなんだ、を、分類してはなしてみようか

春のひかりで細胞が活発になるかんじがする、じゃあ冬はなんだったかなあ

家の中と外の、顔の違い

いやいや、いつでも違う人間の顔した自分がもちろん何人もいてて、使い分けて、それに気づいちゃって疲れる瞬間のはなしとか

裏と表じゃないと思う、そんなのたぶん、ないくらい世界がひろい、とか


おおきなおおきなうねりが、なんとなく最近変わってきているねえ、ってのをいわゆるスピリチュアル無しで、ツーカーで話せる子。

あんまりいない。


こないだもうひとり、会えたけど

いや正確には、そうだろうと思っていたけどようやくそんなおしゃべりがゆっくりできて確認できた。てかんじ。


あんまりいない、のに会える。

ほんとうに出会いには恵まれているなあと思います。

出会って、話して、なにを得てなにを成し遂げるんだろう。

なんかに動かされてる気もするし、おちょくられてるだけな気もする。

彼らとわたしのおしゃべりは、どこに行くんだろか。

毎日でも話してたいなあ。

いつだってもやもやしてるんだ。


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