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執筆者の写真すずめや

なみのこととか

いままで、自分を理解するために、ロジックや歴史を俯瞰で見ることによって噛み砕いていたのですけども、初期衝動のはなしからちょっといろいろ、そういう視点で思い出したりしています。


ちいさなころ

ほんとうに1メートルもなかったくらいちいさなころ

一度、波にさらわれたことがあります。

地元は海が近くて、よく家族ぐるみで遊びにいっていたのでしょう。

しょう、というのは記憶がないくらい、物心つく前くらいのちいさなころの話だからです。


波打ち際にいたはずが、ふわーっと寄せる波に乗り、引く波にそのままさらわれたのです。

何を考えていたかは覚えていない。

母が泣きそうな、怒っているような、そんな顔でこちらに必死に手を伸ばしている。

でも寄せて引いた波はそのまま寄ってきて、別段溺れることもなく、すうっと浜に戻ったのです。

海の中にはいかなかった。

そう、砂浜の上で波にちょっと声を掛けられた、くらいのかんじ。


こないだ初期衝動のお話をしてくださったお兄さんが、例えば自転車でヒヤッとするタイミングで、ああいま違うところのおれが死んじゃったなって思う(パラレルワールド的な意味で)っておっしゃっていて、わわわわわかるかもーーー!ってなったんですよ。

いやお話に引き込まれちゃってたんで、その感覚を体感しちゃったのかもしれませんが。


そうだとしたら、あのちいさな、赤ん坊に毛が生えたくらいの大きさのわたしが、あるところではそのまま波にさらわれて海に引き渡されて、浮かんだら沈んだりしていた世界があるのかしら。


海に引き渡されたんなら、流れる水のある風景にどうも惹かれるのんが、ちょっとわかる。

そう、いままでなら単純に、海がそばにあったからだ、という分析のみだったのですけども、なんつうか。


ガストンバシュラールの空間の詩学で、イメージをロジカルに歌い上げていた彼の印象も相まって、これも国語の教科書でいうところの"説明文"となるのかも。と。


ほんとにだんだんよくわかんない話になってきましたね。

もやもやもや〜ん


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