ぶじ岩手に帰ってきております。
恵文社一乗寺店、ありがとうございました。
京都は灼熱。
関西圏の久しぶりのおきゃくさまやスタッフさん、友人たちにこんな京都って暑かった???とつい口を出る。
しかし今年は岩手もだいぶん暑い。
去年よりだいぶ暑い。
こないだの断水さわぎを聞きつけた大家さんから大丈夫かってお電話がきて、とっても優しくて柔らかい喋り方をする方なので嬉しくなっておしゃべりしていて、まあ7割は雑談だったのだけどやっぱり今年はすごい暑いんだそうでのび太くんですとおっしゃっていた。
暑さでのびたということなんだろうけど言い回しがあまりに可愛い。
これは岩手弁なのだろうか。
暑いおかげでアブが少ない。
それはとってもいいことだけど、どこにいっても冷房完備の京都と違ってこのでかい家には冷房がなく、毎日のようにアイスを食べている。
アイスとかジュースとかはあんまりもともと食べなかったけれどちかごろはよく摂る。
子供じみたようで楽しい。
岩手に来てからどんどん子供に戻っている。
こないだはご老人ばかりの出てくる映画を夫と観ており、この人ってむかしっから老人だよなという話になり、この人はずっとじじい!などと不遜な言い回しをしてげらげら笑っていた。
レベルが小学生である。
映画や音楽や本も、栄養のため摂るならばいいものを、という価値観だったのだが今はもうだいぶなんでもエンタメでよい。
むかしはいつもひりついてて身を切るようなものが好きだった。
京都に帰ると昔の感覚のことをどうしたって思い返す。
身軽になっていく感覚があり、それは作品にもずいぶん出ているように思う。
絵の具のことはもうちょっとしっかりつきつめたい。
まだもうちょっと変わると思う。
冬籠りになったらやってみたいようにやりたいと思う。
まだいまは、今の仕事でせいいっぱい。
ただ在るだけ、になってきた。
これはなかなか手に入りづらい感覚だと思う。
存在が浮遊している。
浮遊というのはずっと大事にしていた、というか憧れていたキーワードなのだけれど、ここへきてなんとなく、掴めそうな気がする。
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