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  • 執筆者の写真すずめや

ここから先へと

鴨川で飲酒、そうですね、はじめては京都に来て、大学にはいって、新人歓迎コンパでした。

べろべろに酔った。

大声で笑っていた。

お酒との付き合いなんてわかってなくって、

ただ陽気になれる魔法の飲み物。

だった。


飲食それ自体がわたし(の肉体)をつくると自覚した時、明確に、つくるごはんやのむものへの意識が変わった。

やさしいのがいい

甘やかすのもいい

いただくいのちがわたしになる

だから、だいじにしよう

毎日食べて飲んで

それでつくられたわたしが世界に存在している。


有り余るほどのおかねはないけど

だれかがだれかの幸せを願って作ったものを買ってたべよう。

上手に料理して。


大事であればあるほど、お塩だけでいい。

最適解はいつもそれだ。

けれどいつも、それだけでいいと、肉体は言わない。

スパイスいっぱいがいいな、

トマトで煮込んで欲しいな、

僕は淡白だから、チーズやオイルと合わせて欲しいよ。

なんてなんて。


手を加えれば加えるほど、だいじなそれから乖離していくのでないかな、という恐れがいつでもあって、だからわたしはノートをつくる。

使って、育ててもらえるもの。

そうでなければ始まらない物語をもつ本を。

あなたを大事にしたいから。


いま、つくるそれだけでなく、表現に意識がいっていて、はじめはそれをエゴだと思ったのです。

でもそれぞれ千差万別に世界の見方やフィルターがある。

そのことに向き合って傷をおえば

わたしの見方を伝えることで

それを手に入れてもらうことで

それを使っていただくことで

なにかが変わることを、不変はないということを

それでも肯定したいと思う人間がいることを

きちんと伝え切れるのでないかしら。


鼓舞です、これは。


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