今夜は十三夜なんですって
十五夜のお月見をしたひとは、
片見月といって、縁起が悪いことになるから十三夜もお月見をしたほうがいいんだそうです。
なんでー?って調べてみたら、
言い出しっぺはどうも遊女みたい。
こんなにいい月を一緒に見たの、
また来月も、十三夜よ。いい月なのよ。
来てくれなきゃいやよ、また一緒にみてよ。
って、まあお誘いの口実だったみたい。
うなぎの日なんかもそうだけど、
お商売から始まった慣習なんですね。
言い出しっぺが言い出しっぺだもの、艶のある話だ。
むかしはそりゃあ、なんか、こういうお金のにおいのする話って、汚らわしいというか、情緒もないし、はいはいお金お金、ぺっ、またかよ。
みたいに決して"善いもの"だと思ってなかったんですけどね。
その日暮らしでも、自分で稼いでると、
特にわたしのような仕事だと、
自分の作ったものに値段をつけて、
お客様に買っていただいて、
それでご飯も食べるしちょっと贅沢もしてみるし、
下着も買うし猫ちゃんのごはんも買うしトイレットペーパーも買う。
暮らすってものいりね、
なんて魔女のキキが一人暮らしをするための買い出しのスーパーで呟くように言っていたけどほんとにそう。
循環していくもの、として。
ひとりでものを作って生きてくぞ、
と思ったときから、
どんなお金でわたしは生きていくのか、
ということをずっとずっと考えていて、
長く長く考えていて。
いまおうちを見渡したら、
うん、わたしは、いいお金の使い方をできてるな、うん、と思える暮らしになりました。
自分の感性を自分で守るということは、
必ずしもボロボロになって闘う、
ということだけではない。
まあボロボロになって闘ってた時代もあったんでそう余計に思えるんですけど。
わたしのおうちはいまどこみてもちゃんと、考えて買ったものばっかりで、物語を話せるものも多くて、うん。
自分の感性を自分で守る、
自分をきちんと育てるとか、ご自愛すること。
そうやって上手に育てばいい実がついて、まただれかに還元できる。
特に、ほんとに、わたしからできるものを始として循環を始めたんだからねえ。
無我夢中でわかんないままやってきたことも、
こうして砕いてわかってあげられる自分になったりもするんですね。
としをくうのは面白いなあ。
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