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  • 執筆者の写真すずめや

うめだ阪急

2日めの営業を終え、

ホテルに戻ってゆっくり酒を飲んでいます。


このブログ(とホームページ)は誰が見てくれたか、と反応が可視化されるSNSの投稿と違い、わたしも何人が見てくれたのかという数しかわからずでありまして、テニスの練習でいうところの壁打ちな場所です。

テニスやったことないけど。

今回の出展ではブログ読んでます、とかホームページみてます、と言ってくださる方が多くてどきどきしました。

自分でいうのもあれやけどマニアックな場所じゃない。

個人作家の壁打ち場なんてね。

そいで、だいたいそういう方は静かにお選びいただくのでわたしも壁になりきっていたりして、最後のお会計のときなんかに、あっ、ご本人なんですか、と帰り際に言ってくださったりして。


わたしはSNSでもこちらでもやたらと文章を書くタイプの人間でしてそれはものづくりの作家仲間を見回しても珍しい。

みんないいたいことは作品にのせてる。

ことばが苦手だからものを作って伝える、のほうが多い気がするしそっちのほうが理にかなっている。

でもSNSのほうはほら、反応がわかるからウケ狙いじゃないけどこっちが壁打ちならむこうはラリー練習みたいな違いはある。

こうでございます、と客観的に見回せるように書いているような気はする。


こっちをみているひとからしたら、まだ見ぬわたしはどんな人間と想像するのかな。

けっこう自分の文章を読み返すけれど、このブログのほうは客観視や俯瞰が入ってない文章だからどう見えるのかわからないんだ。

それはとても不思議なことでありここは不思議な場所であります。

内省に内省をかさねて作り出すタイプということも影響しているとはいえ、女性という性でいい歳まできているので俯瞰や客観視はいつでもそばにあるものなので、見える方が自然なかんじはするんだけどここの文章は自分でもどう見せたいのか見せてるのかよくわからない。

よくわからないまま500を超える記事を書いていたりしてよけいによくわからないな。


ホームページのトップには行商の予定をのせていて、お店があった頃は営業カレンダーをのせていて、だからここを見に来るのはほんとうに会いたがってくれているひとたちなんだって、甘えみたいのがあるのかな。

大袈裟に書くと、どなたかが"愛してくださっている"ということにいつまでも慣れないままだけど、もしこのよくわからない文章たちが甘えの具現化なのだとしたら面白いな。

そういうことなかなか信じられないまま恐る恐る長い時間を過ごしていたような感覚があるんだ。

でもそれをしんから信じてなければここまで来れなかっただろうとも思う、無自覚のうちにきちんと誰かに甘えられていたという証明なのかもわからない。


本が好きだから製本をはじめた。

ことばのことが好きなんだ。

それを通して"も"表現をしている、意図せずとも、しているともわかっている、として。

どうみえる?


男の人みたいかな、それは何歳くらい?

どんな色のジャケットを着ていそう?

女の人みたいかな、それは何歳くらい?

どんなふうな髪型をしていそう?

背はどれくらい?何色を着てる?

ブローチはつけてる?ハンカチを持っている?

ズボンの丈はどれくらい?

スカートの丈はどれくらい?

めつきはいいほう、わるいほう?

おしゃべりかな無口かな?


とかいってわたしも、たとえば通販の、名前とノートの好みだけはよく知っている常連さんにこういうリアルの場でお会いしたりすると、あっ…この方が…なんてなんにも想像してなかったのにはっとしてしまうことがあります。

その人に顔がなくてもずっと知っている人だったりする。

不思議だわねと思うけどインターネットが普及しだして何年になるのよって思ったらべつに不思議でもないような気もする。

わたしはまだまだ不思議と思うけど、そういう会い方もあるんだよねえ。



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